バイオコミュニケーションズ株式会社
Dr.Kohnoの産業医ワンポイント!

『河野慶三コラム』産業医の方へ

第18回 電通事件を振り返る

 最高裁判所は2000年に、いわゆる電通事件の判決を出し、「使用者は、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負う」という新しい判断を示した。そして、使用者にかわって労働者に対し業務上の指揮監督を行う権限を有する者に、「使用者の注意義務の内容に従って、その権限を行使する」ことを求めた。さらに、使用者がこうした注意義務を履行したことが立証できない場合には、裁判所は使用者に「過失」があると認定することを明示した。
 この判決は、安全配慮義務の考え方を社会に浸透させていく起爆剤となり、労働契約法の制定に大きな役割を果たすと同時に、それまでの、労働者の健康は福利厚生の対象であるとする考え方から、「労働者の健康はリスク管理の対象である」とする現在の考え方に変える強い推進力となった。今回は、この電通事件の判決を振り返ってみることにしたい。

■事件の当事者

 自殺したのはF。1966年11月30日生まれの男性。電通に入社したのが1990年。研修を受けてラジオ局ラジオ推進部に配属された。ラジオ番組のスポンサーの決定、スポンサーがどんな内容の広告をするのかを決めていくプロセスをフォローすることが業務であり、2年目になって40社を担当していた。そうした活動状況下で、メンタルヘルス不調が生じ、1991年8月27日の午前10時頃、自宅の風呂場で縊死。直前の仕事の状況は、8月23日の夜遅く八ヶ岳村のイベントに車で出かけ、イベントを終えて8月27日午前6時ごろ帰宅。八ヶ岳村には 23、24、25、26日と4泊している。朝早く帰って来て、その日の10時頃に死亡。自殺時の年齢は24歳。
損害賠償請求訴訟の原告はFの両親。

■東京地裁での3つの争点

 これが、電通の安全配慮義務違反を問う損害賠償請求訴訟として東京地方裁判所に提訴された。東京地裁は1996年に判決を出したが、そこでの争点はつぎの3つであった。

1)Fの真実の労働時間はどれだけか?その労働時間は社会通念上許容される範囲か?
2)業務と自殺の間の相当因果関係は存在するか?
3)電通に安全配慮義務違反があったか?

■常軌を逸した長時間労働であることが認められた

 1)に関しては、本人が管理監督者に出していた勤務状況報告によると、1991年4月1日〜8月27日の勤務の実態は、平日の時間外:265.5時間、休日の勤務時間:30.5時間であり、この4か月で合計296時間の残業をしていた。これを4か月で割ると月74時間になる。いわゆる過労死ライン、80時間は超えていない。電通には社員の入退館をチェックする外部委託の管理員がいて、巡視実施報告を会社に提出している。その記録によると、Fの場合、この4か月で午前2時以降の退館が41回あり、41回のうち17回は徹夜であった。地裁は、この事態はどう考えても社会通念上許容される範囲を超えていると判断した。
 本人の申告と第三者の記録した時間に大きな乖離があることも問題になった。徹夜を含む午前2時以降の退社が41回もあったら、本人が申告した296時間は簡単に超えてしまう。 Fは事実とは大幅に異なる申告をしていた。サービス残業をしていたわけである。他の社員はどうなのかというと、他の社員も似たような長時間労働をしているということが明らかになった。会社全体が常軌を逸した時間外労働をしていた。

■業務と自殺との相当因果関係が認められた

 2)については、Fは医療機関を受診していなかったため、医師の診断書などはないが、裁判所はFが自殺する少し前にうつ状態になっていたと認定した。そして、常軌を逸した長時間労働が睡眠不足を生じさせ、疲労困憊した状態が背景となってうつ病を発症したと推定した。うつ病には、重要な症状のひとつとして自殺念慮があることに着目して、Fの自殺はうつ病の症状として起こったと考えた。
 自殺は「自損行為」なので、一般に第三者には責任がない。この考え方に従うと、自殺と業務の間には相当因果関係の認定はできない。この問題をクリアするために、裁判所は、

  1. 長時間労働がうつ病を発症させた
  2. その症状として自殺が起こった
  3. 長時間労働は本人の意思によるものではなく会社がさせた
    (時間外労働は法制度上、管理監督者が指示して行わせるものである)

という論理を展開し、Fの自殺は業務に起因していると判定したわけである。

■安全配慮義務違反も認められた

 3)に関しては、管理監督者がFの健康状態よくないことを知っていたにもかかわらず適切な対処をしなかったと断じて安全配慮義務違反を認め、電通には過失があるとして、1億1,558万588円の損害賠償を命じた。訴訟を起こしたのはFの両親なので、両親がその半分ずつを受け取ることになった。

■東京高等裁判所は過失相殺で30%減額の判決

 電通は、判決に納得できないということで東京高等裁判所に控訴した。その判決は1997年に出たが、高裁も、地裁の判断1)〜3)をすべて肯定した。しかし、Fとその両親にも責任の一半があるとして30%の過失相殺を行った。その理由として、高裁はつぎの4点をあげた。

  1. Fの性格上の問題
  2. Fは時間の適切な使用を誤った
  3. Fは医療機関を受診せず、休暇も取らなかった
  4. 同居している両親の支援がなかった

 過失相殺については、表に示したとおり民法に2つ条文がある。債務不履行で争っている場合の過失相殺の根拠は民法第418条である。また、第709条、それに関連した第715条にもとづく注意義務違反の場合は、第722条の第2項を使って過失相殺を行う。
 電通にはFの健康状態の悪さを知りながら適切な対処をしなかった過失があるが、Fとその両親にも上記4つの過失があると考えたことになる。

■最高裁判所は過失相殺認めず差し戻し

 最高裁判所は、2000年の判決で地裁判決の1)〜3)をすべて肯定した。そして、高裁の@、Cを根拠とする過失相殺の判断には誤りがあることをかなり強い調子で指摘した。
 性格については、「ある業務に従事する特定の労働者の性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない限り、その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等が業務の過重負担に起因して当該労働者に生じた損害の発生又は拡大に寄与したとしても、そのような事態は使用者として予想すべきものということができる。しかも、使用者又はこれに代わって労働者に対し業務上の監督を行う者は、各労働者がその従事すべき業務に適するか否かを判断して、その配置先、遂行すべき業務の内容等を定めるのであり、その際に、各労働者の性格をも考慮することができる」ことを根拠として、「労働者の性格が前記の範囲を外れるものでない場合には、裁判所は、業務の負担が過重であることを原因とする損害賠償請求において使用者の賠償すべき額を決定するに当たり、その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等を、心因的要因として斟酌(しんしゃく)することはできない」と述べている。

 この部分は、電通事件の最高裁判決が示した重要な判断のひとつである。そして、F には通常想定される範囲を外れる性格上の問題はなかったと判断した。
 両親についても、Fは独立した社会人として自らの意思と判断にもとづいて働いていたのだから、同居しているからといって両親がFの勤務状況を改善する措置をとりうる立場にあったとは言えないと判示した。
 高裁の判決にはこの2つの誤りがあるため損害賠償額についての再検討が必要であるとの理由で、高裁に差し戻した。

■東京高等裁判所の差戻し審

 ここでの争点は、過失相殺をしない場合の損害賠償額をどう決めるかだけなので、高裁は和解を勧告した。双方がそれを受け入れてこの訴訟は終わった。


表 民法の関連条文

第415条 (債務不履行による損害賠償)
債務者がその債務の本旨に従った履行をしないときは、債務者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる。債務者の責めに帰すべき事由によって履行をすることができなくなったときも、同様とする。
第417条(損害賠償の方法)
損害賠償は、別段の意思表示がないときは、金銭をもってその額を定める。
第418条(過失相殺)
債務の不履行に関して債権者に過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の責任及びその額を定める。
第709条(不法行為による損害賠償)
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
第715条(使用者等の責任)
ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。ただし、使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったときは、この限りではない。
2 使用者に代わって事業を監督する者も、前項の責任を負う。
3 第2項の規定は、使用者又は監督者から被用者に対する求償権の行使を妨げない。
第722条(損害賠償の方法及び過失相殺)
第417条の規定は、不法行為による損害賠償について準用する。
2 被害者に過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の額を定めることができる。
製品・サービスに関するお問合わせはこちらへ
プライバシーマーク