第26回 知的障害者に対する安全配慮義務と注意義務
2019年 9月4日

障害者の雇用の促進等に関する法律(昭和35年法律第123号)は、民間企業の事業主に対しては、雇用労働者数の2.2%に該当する数の障害者(身体障害、知的障害、精神障害のいずれでもよい)を雇用することを義務付けている。
2019年4月に厚生労働省が公表した2018年の障害者雇用状況によると、民間企業に雇用されている障害者は534,769.5人(身体障害:346,208人、知的障害:121,166.5人、精神障害:67,395人)であった。最近は、どの障害をみても雇用者数は増加しており、2018年の2017年対の障害別雇用の伸び率は、順に3.8、7.9、34.7%であった。
今回紹介するのは、知的障害者として4月に雇用され5月に自殺した18歳男性労働者をめぐって、事業者に安全配慮義務、注意義務上の違反があったかどうかが争われた事件である。
ちなみに、自殺は自損行為なので、第三者には一切責任がないというのが通念である。しかし、自殺が何らかの精神障害(たとえばうつ病)の症状として起こった場合には、その精神障害を発症させた原因として業務上の負荷の存在が証明され、他に原因がなければ、事業者は当事者としてその自殺について安全配慮義務あるいは注意義務違反の責任をとわれることになる。
周知のとおり、民事訴訟では、つぎの3点が損害賠償を認定する要件とされている。
- 業務と健康障害の間に相当因果関係が認められること(この因果関係が予見可能性があることの前提となる)
- 健康障害の発生を防止するための具体的な方法が存在すること(回避可能性があること)
- 故意もしくは過失があること
@については、たとえばうつ病がある場合には、その症状として自殺が生ずることは医学的によく知られた事実なので、うつ病と自殺の間に相当因果関係が認められる。したがって、一般的に言ってうつ病者の自殺については予見可能性が存在する。また、うつ病は治療可能な病気であり、うつ病から回復すれば自殺念慮は消失するので、Aの回避可能性もあることになる。
富士機工事件(静岡地裁浜松支部 平成30年6月判決、確定)
事実
- 原告:自殺したSの父親と母親
- 被告:富士機工株式会社(自動車部品の製造販売)
従業員数:約1,600人(そのうち障害者は知的障害11を含む21人) - 死亡者S:18歳 男、富士機工に知的障害者として雇用された労働者
- Sは小学5年生であった2006年に、知能検査WISC−Vを受けたところ、全検査IQ:70であり、この結果から精神遅滞:軽度〜境界と判定された。Sは療育手帳(障害度B)の交付を受け、週1回の特別支援教育を受けながら普通学級に通った。
その後2008年と2011年の2回、WISC−Vを受けており、全検査IQはそれぞれ71、67であった。
Sは中学の特別支援教育で読字障害を指摘され、そのための支援教育も受けた。高校は普通科に入学し、高校では特別支援教育は受けなかった。 - Sは高校卒業に際し被告会社を受検したが不合格となった。会社は障害者枠での採用を提示し、2014年4月1日に知的障害者としてSを雇用した。
- Sは新入社員教育を受けた後、4月10日に製造課プレス係に配属された(上司は課長Fと係長Cであった)。
プレス作業に関する安全教育の後、4月25日まで、製品確認・梱包作業の実習を行った。
4月26日(土)〜5月5日(月)は、ゴールデンウィークの休暇であった。
Sは5月6日から指導者Dのもとでプレス機を使用した実習を始めた。
5月16日頃、指導者Dは新たに金型作成の手順書を作成し、Sに渡した。
Sは5月17日(土)労働組合主催のソフトボール大会に参加し、張り切ってプレーをした。翌日曜日には高校の同級生と遊びに出かけた。
19日から始まる週の△日にSがプレス機を操作していたところ、このプレス機が停止して動かなくなるという出来事が起こった。その原因として機械そのものの不具合とSの操作ミスが考えられたが、いずれとも明確にはならなかった。
その出来事があった日の翌日、Sは通勤に使っていた路線の駅で貨物列車に飛び込み自殺した。
争点
- 被告の安全配慮義務違反、注意義務違反の有無
- Sの業務と自殺との間の因果関係
- 原告らの損害
原告の主張
- 被告は、雇用したSの知的障害、読字障害を十分に理解したうえでその特性に応じて適切に教育し、配属と職務内容を決める義務を負っていた。
- 知的障害、読字障害などの発達障害を有する労働者が、職場のトラブルが原因でうつなどの精神症状をきたすことは医学的によく知られた事実である。障害者を雇用する使用者であれば、当然にこの知識を有しているはずである。その知識があれば、被告はSの自殺を予見することができた。
- 予見可能性があったにもかかわらず、つぎに示したとおり、被告はSの心理的負荷を軽減するために必要な措置をとらなかった。
- 社内規定やマニュアルなどの作成、管理監督者に対する特別な教育などの合理的配慮をしなかった。
- Sの障害特性に配慮した新入社員教育を行わなかった。
- Sの配属先を決めるにあたり、家族の意見や専門家の意見を聴く配慮をしなかった。
- 人事課から配属先へのSの障害に関する引継ぎの内容が不十分・不正確で、その方法も口頭であり、文書ではなかった。
- 係長Cは新任であり、障害者をもつ部下の指導経験がなかった。プレス機作業の指導者Dにも知的障害者を指導した実績がなかった。
- プレス機の作業は、その情報量、専門性、複雑さからいってSの能力を超えているにもかかわらず、これを担当させた。
- DがSにわたした金型交換の段取りを示した手順書は、その内容のほとんどが専門用語で書かれていた。
- 係長CはSに対して「馬鹿は馬鹿なりに努力しろ」という極めて不適切な発言を行った。
- プレス機の故障について、Sに対する上司からの適切なアフターケアがなかった。
- Sが走行する列車に飛び込むという、身体損傷度が高く、自己破壊的な激しい手段をとったことからすれば、精神障害を有していたことが強く推論できる。Sは2014年5月中旬頃までに、抑うつ障害、適応障害など何らかの精神障害を発症していた。そうした状況において、自殺前日、自身の材料投入作業の遅れが原因でプレス機を停止させるというミス犯してしまった。これによる精神的なダメージのため、自分は会社に迷惑をかける存在であり、会社に居場所はないという心情に陥った。翌日出社しようとしたが、その思いが出社を妨げ、通勤途上で自ら命を絶つ行動に繋がった。
被告の主張
- Sの自殺については予見可能性がなかった。
- Sの母親からは読字障害の話は聞いていない。
- Sは新入社員教育の内容を十分理解していたし、実習においてもプレス後の製品の傷の確認作業や梱包作業を順調に覚えていた。
- Sは入社試験の際、小学校時代から一度も欠席したことがないことをアピールしていた。入社後も勤怠に問題はなかった。
- 指導者Dは連休明け以降も、朝の挨拶、ラジオ体操、朝礼時などにSの言動に注意していたが、何か問題を抱えて悩んでいる様子はなかった。
- プレス機が止まる事故では、会社の業務には支障は出ておらず、事故はときにはあることなので、指導者DもSを叱責していない。Sは事故後も終業時まで同じ作業を続けており、作業終了時までSに特に変わった様子はなかった。
- 安全配慮義務違反、注意義務違反はなかった。
- 製造課プレス係には既に3名の知的障害者が配属されていた。障害者就業・雇用センターや特別支援学校の先生との連携もとっていた。このように、被告は障害者雇用の実績を十分有しており、外部機関からの信頼もあった。
- 配属先の決定の際に、プレス係には梱包作業という比較的単純な作業があることを考慮した。梱包作業に比べ負荷の大きいプレス機での実習をさせたのは、Sがこの作業に意欲的であったからである。なお、実習させたプレス作業は他のプレス作業と違って、作業時間も短く負荷が少ない作業であった。
- 係長Cや指導者DはSの障害について理解し、叱ることなく懇切丁寧に指導していた。さらに、指導者Dは連休明け以降も、朝の挨拶、ラジオ体操、朝礼時などにSの言動に注意していた。
- Dは作業内容を動作や簡単な言葉で説明し、Sが間違ってももう一度説明して手本を見せてからSに作業をさせていた。
- Dは手順書についても、Sにひとつずつの動作を口頭で説明し、手本を見せ、番号と作業内容を記入するという手順を踏んで教育していた。
- 「馬鹿は馬鹿なりに努力しろ」という係長Cの発言は、自分から物覚えが悪いと話したSに対して、作業手順を覚える方法をアドバイスしたものであり、Sを侮辱した対応ではなかった。
- 原告が主張する精神障害の存在を裏付ける証拠は一切提出されていない。
- 被告は、Sの能力に応じた仕事を与えていたし、長時間労働をさせていたわけでもない。仕事が辛いといった悩みの相談を受けた被告従業員もいない。さらに、無遅刻・無欠勤で通勤していたのであるから、Sに明らかな健康上の問題があったとは考えられない。したがって、Sの自殺と業務の間に相当因果関係は存在しない。
裁判所の判断
- Sがうつ病などの精神障害を発症していた可能性もないとは言えず、本件全証拠によっても業務以外に自殺の原因となる要因は見当たらないから、被告の業務に対する心理的負荷がSの自殺を招いたものと推測される。
- プレス機作業は指導者Dでも習得に1か月程度を要する作業であり、知的障害、読字障害を有するSにとっては、作業内容を覚えることが困難であったことは想像に難くない。Sが書いた作業ノートは油で汚れ、その記載も整理されたものではなかった。
- 係長Cから調子を聞かれた際に、馬鹿だから覚えが悪いと述べ、高校の同級生とのLINEグループに「マジ覚えることが多すぎ」「プレスだから退職するまで、指あってほしい」と投稿しているとおり、努力の成果が得られず苦慮していたことが窺える。
- 指導者Dが作成した手順書も、文章から意味を理解することが苦手なSにとって、混乱と困惑をきたす原因となったものと解される。また、安全面においても、Sがプレス機の実習に心理的負担を感じていたことが窺える。
- Sにとってはプレス機での実習が、その能力に比して過重であり、その心理的負荷は大きかったというべきである。
- 自殺までの間に、Sに精神障害の発症や自殺の兆候は見当たらず、被告が、Sにとって業務が過重であり、自殺や精神障害を招き得る心理的負荷になっていたことを予見することは困難であった。被告には安全配慮義務および注意義務の前提となる予見可能性があったとは認められない。
- SのLINEへの投稿について被告が認識していたとは認められない。
- Sは同僚との良好な関係を築いており、係長C、指導者Dをはじめとする上司との人間関係も良好であった。
- プレス機の停止は、その原因が判然としないものの、少なくともそのことでSが責められる状況にはなく、Sが責任を感じて思い悩む様子も窺えない。
裁判所の判断は、「Sにとってはプレス機での実習が、その能力に比して過重であり、その心理的負荷は大きかったというべきである」と述べて、業務の心理的負荷が自殺の原因になったと判示した。しかし、医師による心身の健康状態確認がまったくなされていない状況下で、推測に推測を重ねて裁判所がこうした判断を下すことには、産業医としては同意ができない。しかし、医師による健康状態の確認がされていない状況であっても、裁判所は判断をしなければならない立場に置かれているので、裁判所を責めることは酷かもしれない。
安全配慮義務違反と注意義務違反を判断する前提である予見可能性の有無については、知的障害の場合、負荷する作業とそれによって生じる健康影響の関係を一般的に論ずることは困難で、まさに個別に判断しなければならない。
この訴訟では、原告は、一般論から事業者の予見可能性の存在を主張したが、裁判所は一部それを肯定しながらも、自殺に至るプロセスに具体的な健康障害の存在を事業者が認識できる事実がなかったことを主たる根拠として、予見可能性の存在を否定し、その認識にもとづいて損害賠償要求を退けた。
障害枠で雇用された労働者に産業医がどうかかわるかについては、知見の蓄積が乏しい。ましてや、今回の事例のように入社後2か月にも満たない者の自殺については、知見ゼロと言ってもよい状態である。今後、雇用される障害者数が確実に増加することを考えると、何らかの対策が必要である。
産業医として下記@〜Bはさしあたって実行可能なので、産業医業務の一部としてこれを遂行する仕組みを作ることも一案である。
- 雇い入れ時に労働者の障害の内容とその程度を把握し、適正配置、あるいは適性配置に関する意見を述べる。
- 管理監督者に対して、障害に関する医学的な知識を提供する。さらに、月1回程度、管理監督者の面談を実施し、就業上の問題、健康状態の把握を行う。
- 入社後3か月程度のところで、当人との個別の産業医面談を行う。
今回の事例の場合、産業医がまったくかかわっていないため、健康情報を得る機会がなかった。それがあれば、判決がその存在を推測している、「努力を積み重ねているにもかかわらずその成果が得られない」というSの葛藤を把握できた可能性はあったと思われる。
また、この事例では、係長C、指導者Dへの支援、いわゆるポストベンションを行うことが必要である。