第27回 ダイバーシティとインクルージョン
2020年 1月6日

私たちは他者と接する場合、通常、話し合うことによって相手を理解できるし、相手にも自分が理解してもらえると考えています。職場という組織もそれを前提として成り立っています。しかし、職場のストレス要因として人間関係の問題が常に上位を占めているという事実は、職場の構成員相互の理解がそう簡単ではないことを示しています。
ところで、職場をよく観察してみると、職場によって違いはあるものの、職場には、
- 仕事の仕方について暗黙の「基準」−これはその職場構成員の考えや行動の平均値−があること
- 職場構成員にはその基準を踏まえた行動が求められていることがわかります。
それを大きく外れると事例性が生じます。事例性については産業医向け第4回で紹介したとおりで、2つの型がありますが、このタイプの事例性、すなわち組織の平均的な姿からの乖離がある人は、「場の空気が読めない人」「秩序を乱す人」「生意気な人」「自分勝手な人」などのラベルを貼られ、その職場から排除されることが常でした。しかしこのところ、職場のダイバーシティを推進しようとする動きがあり、このタイプの事例性のある労働者を排除しないで組織内に取り込むこと(インクルージョン)の意義が強調されるようになってきました。
ところが現実には、日常の産業医面談の場では、このタイプの事例性を背景としたメンタルヘルス不調者に遭遇することが増えています。当事者間でその前提となる「基準」が大きく乖離しているため、当然のことなのですが、話し合いそのものが成立していないのです。乖離していることを双方が認識しないかぎり、インクルージョンは進みません。
今回は、産業医との対話場面を再現することによって、そうした事例が現実に存在することを人事・総務の方々に知ってもらいたいと考えました。ですから、産業医として、その問題に具体的にどう取り組んだかについては、ここには書いてありません。
なお、話は少々脚色していますが、話のポイントには手を入れていません。
第一話
Kは社員歴20年を超える男性。Kはうつ状態の診断のもとで休務していた。うつ状態から回復し、復職希望が出てきたところから産業医としてのかかわりが始まったのだが、元の職場がKの受け入れに強い難色を示した。その最大の理由は、Kが休務する直前に、直属の上司に消火器を投げつけようとする危険行動に及んだことであった。
元の職場の管理監督者は、「Kは、以前から協調性に欠け、常々上司とよく衝突していた。仕事の成果もあがっていない。職場の秩序維持の観点から、Kを受け入れることはできない」と主張した。職場としてはもっともな意見である。しかし、事業者は、労働契約上、労働者が復帰を望み、主治医、産業医が就業可能な状態であると判断すれば、説明可能な理由がないかぎり復帰を拒むことはできない。
復帰に向けた産業医面談で、問題となった直属の上司との関係が話題になったところで、Kはいきなりつぎのように主張した。(Pは産業医の発言)
第二話
Sは社員歴3年の男性。管理監督者から、「部下のSがパニック障害の診断書を出して休んでいる。出社しようとすると動悸がして会社に来れないと言っている。どうしてそうなったのかは本人にもわからないようだ。上司としては職場にはこれといった問題はないと思っている。一度会ってほしい。」との依頼があり、Sの話を聴くことになりました。
9月になってもそうした状態が続いていました。そうしたある日、いつもと違って強い疲労を感じながら乗っていた通勤電車の中で、突然動悸がして胸が痛くなり、息苦しくなってしまいました。電車を降りてホームのベンチでしばらく休んでいたら、症状はなくなりました。その翌日は普通に出社することができましたが、翌々日の朝は、家を出ようとしたところで、動悸が起こり、発作が再現してしまいました。
近くの内科を受診したところ、「パニック発作」と診断され、医師の勧めにしたがって1週間休みました。休んでいる間は、発作もなく状態はよかったのですが、休み明けの初日に出社しようとしたところ、また発作が起こりました。この発作に対する不安が強くて出社できず、今も休んでいます。
稟議書の素案を作成する作業の場合でも、その構成、論理、文章について細かい指示があります。「てにおは」にも厳しくて、私にとってはそれについていくことが重荷です。でも、Hさんにとっては当たり前のことなのだということは私にもわかっていますし、Hさんが間違っているわけでもありません。