河野慶三コラム 人事・総務の方へ

第28回 産業医から見た法制化されたパワーハラスメント対策
2020年 3月23日

 パワーハラスメントについては、人事・総務向け第18回第26回産業医向け第21回で取り上げてきましたが、その公表が待たれていた「労働施策総合推進法」にもとづく指針が、2020年1月15日に厚生労働省告示第5号として公示されました。この告示の正式な名称は「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」です。
 さらに、2月10日には、局長通達「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律第8章の規定等の運用について」(雇均発0210第1号)も出て、法規制の詳細がみえてきました。
 そこで今回は、「産業医から見た法制化されたパワーハラスメント対策」を話題として取り上げ、人事担当者と産業医の対話をとおして理解を深めていただくことにしました。
 なお、この法規制は、大企業には今年の6月1日から適用されますが、中小企業の場合は、経過措置として2022年3月末までは努力義務とされています。

1. パワーハラスメントであることの判断をめぐって

人事担当者

人事担当者

パワーハラスメントの法律上の定義は、「@職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であって、A業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、Bその雇用する労働者の就業環境が害されること」です。指針によると、パワーハラスメントというには、この3要素をすべて満たすことが必要とされています。@〜Bにはそれぞれ定義を必要とする文言があると思うのですが、まず@の優越的な関係についてうかがいます。
指針は、優越的な関係を、言動の行為者に対して抵抗または拒絶することができない蓋然性が高い関係と説明しています。これは、その判断には行為者と被害者の力関係を明らかにしなければならないことを意味しています。力関係でもっともわかりやすいのが上司と部下の関係で、通常は上司の力が強いのですが、たとえば、上司が職務の遂行上その部下の知識や活動に大きく依存している場合には力関係が逆転します。ですから、パワーハラスメントの判断には、力関係の実情を的確に把握することが欠かせません。
河野産業医

河野産業医

人事担当者

人事担当者

そうですね。部下が集団で上司を無視するといったこともないわけではありませんから。そして、Aの業務上必要かつ相当な範囲というのも微妙ですね。
指針はわざわざ、「客観的にみて業務上必要かつ相当な範囲で行われる適正な業務指示や指導」はパワーハラスメントに該当しないと断っています。これは、管理監督者が委縮して部下に対する指揮命令ができなくなることを回避するための言及だと考えられていますが、これが強調され過ぎることには問題があります。行為者と被害者では業務指示や指導についての考え方が異なることが多く、適正であることの客観性の判断が難しいからです。
河野産業医

河野産業医

人事担当者

人事担当者

部下は管理監督者の指揮下にあるので、労働契約上、部下はその指揮命令に従うべきですよね。
原則はそうです。しかし、管理監督者は、その指揮命令を何故するのかが部下に説明できなければなりません。管理監督者には安全配慮義務を実行する責任もあり、それに反する指揮命令をしてはいけないからです。指針も、パワーハラスメントにあたるかどうかの判断に際しては、労働者の属性や心身の状況を含む様々な要素を総合的に考慮することを求めています。
河野産業医

河野産業医

人事担当者

人事担当者

そうですね。Bとの関係も気になります。Bについてはいかがですか。
指針は、Bの就業環境が害されることの判断を、平均的な労働者の感じ方を基準として行うことが適切と述べています。事業主にはこの指針で、パワーハラスメントの行為者に対して何らかの懲戒処分をすることが求められているので、その点を重視すると、当然、処分される者が納得できる基準が必要です。その基準が平均的な労働者の感じ方になったわけですが、これは労働者災害補償保険法の業務上外の判断基準で採用されている考え方で、平均人基準説と呼ばれています。平均人基準説については、産業医向け第28回で取り上げているので、関心のある方はそちらをみてください。
河野産業医

河野産業医

人事担当者

人事担当者

心身の状況を理由としてAが認められても、それが平均的な労働者の感じ方からは乖離している場合は、Bに該当しないことになりませんか。
論理的にはそのとおりです。AとBが自家撞着することになります。行為者の行為をどう感じるかは人それぞれです。その要因が現象としては同じであっても、反応には大きな個人差がみられます。ですから、Aを重視すればBとぶつかり、Bを重視すればAで総合的に判断しても意味がないことになります。
河野産業医

河野産業医

人事担当者

人事担当者

現場は困りますね。
労災の業務外判定の取り消し訴訟や民事の損害賠償請求事件でも、心理的な負荷の程度を平均的な労働者を基準として判断することには強い異論があり、争いが絶えないのですが、いまだに決着がついていません。ですから、今のところ、現場で判断せざるをえないですね。さしあたっては、こうした難しい判断をしなければならない事例を減らすことが対策になります。そのためには、相談機能の充実が重要です。相談窓口の担当者が相談者を十分受け止める力をもつことが望まれます。
河野産業医

河野産業医

2. 雇用管理上講ずべき措置−相談の重要性

人事担当者

人事担当者

指針は、事業主が雇用管理上講ずべき措置として、次の4つをあげています。
  1. 事業主の方針などの明確化および周知・啓発
  2. 苦情を含む相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備
  3. パワーハラスメントにかかる事後の迅速かつ適切な対応
  4. @〜Bの措置と併せて講ずる措置
@はパワーハラスメントの内容とパワーハラスメントを職場内で行ってはならないことを事業主の意思として明確化し、そうした行為を懲戒処分の対象とすることを従業員に周知することです。今回の法規制は、あくまでも職場内のパワーハラスメントを対象とし、その対策の実施を事業主に求めるものです。今のところ、国は職場外のハラスメント対策には手をつけていません。
河野産業医

河野産業医

人事担当者

人事担当者

今回の法規制は、労働契約下にある労働者に対する事業主の責任に限定されているということですね。ところで、先生はパワーハラスメント対策としてAが重要であることをおりにふれて強調されていますが……。
はい。相談が機能すれば、問題を大きくしなくてすみます。相談者は、必ずしも行為者の処分を求めて相談にくるわけではありません。自分が直面している辛くて苦しい状態を誰かにわかってほしい、とにかく話を聴いてほしいと思って来る人も多いのです。ところが、相談担当者は相談者のそうした思いを受け止めようとせず、事実が何なのか、それを証明する証拠があるのかといったことを重視した質問を相談者に投げかけます。懲戒処分をするかどうか、するとすればどのレベルの処分が妥当かを判断するための調査であれば、それはやむを得ません。しかし、相談者がそれを求めていなければ、両者の間に行き違いが生じます。
 たとえば、セクシャルハラスメントについてはすでに法規制がされており、相談体制もつくられています。しかし、相談しにくいという意見が少なくありません。相談に行っても、事実関係を執拗に問われたり、話の客観性を問題視されたり、自分には問題はないのかと言われたりなど、「何か取り調べを受けているような気持にさせられる」という話が、産業医面談の場でよく出てきます。相談に行っても嫌な思いをするだけで、問題解決には繋がらない。
河野産業医

河野産業医

人事担当者

人事担当者

相談には二度と行きたくないということですね。人事でもそうした話を耳にすることはあります。
相談を機能させるには、相談者が、話を聴いてもらえた、さらには自分の困っている状態を受け止めてもらえたと実感することが重要です。受け止めてもらえたという実感は相談者の心を少し暖かくします。初回の面談でこうした実感をもってもらうことができないと、相談はそれでおしまいになりがちです。確かに、相談者の話は、感情的で論理性に欠けていたり、話の内容に矛盾があったりします。また、相談者は自己中心的で攻撃的であったりもします。相談者によくみられるこうした特性は、相談担当者に、「もう少しきちんと話をしろ、話のつじつまがあっていない、もううんざりだ」といった陰性感情を誘発しがちです。相談担当者に生じたこの陰性感情は非言語的に相談者に伝わり、相談者が受け止めてもらえなかったと感じる原因になります。
河野産業医

河野産業医

人事担当者

人事担当者

相談窓口の担当者はどうすればいいのですか。
まずは相談者の話に耳を傾けることです。相談者が何に困っているのか、それを相談者の言葉で語ってもらいます。語られる内容に矛盾があったり、一貫性がなかったりしても、それはさしあたって横に置いておきます。そうした問題点に気づくと、相談担当者はすぐ指摘したくなるのですが、あえて横に置いておきます。相談担当者が話を聴く力を身に着けるとは、たとえば、そのような話の聴き方ができるようになることです。臨床心理の領域では話の聴き方についての技法が確立されていて、それは傾聴と呼ばれています。「話の聴き方」については人事・総務向第20回で取り上げているので、そちらを見てください。
河野産業医

河野産業医

人事担当者

人事担当者

そうすると、窓口担当者は傾聴の訓練を受けておくべきなのですね。
はい。相談窓口担当者にはそうした教育を必ず受けさせる、もしくはすでに教育を受けた人を充てる。これが事業主や人事総務担当者の皆さんにお願いしたいことの第一です。相談窓口を担当することは、担当者にとって大きな心理的な負荷になります。話を聴く知識・スキルの習得は、その負荷を確実に軽減してくれます。それが、窓口の相談機能を向上させることに繋がります。
河野産業医

河野産業医

人事担当者

人事担当者

傾聴訓練には、相談担当者をストレスから守る役割もあるということですね。
そのとおりです。お願いの第二は、相談窓口の機能を相談に限定することです。指針では、相談担当者が調査も担当するように読める部分がありますが、それは、話を聴く機能にネガティブな影響を及ぼす危険性があるので避けるべきです。相談対応上、相談者の辛くて困った状態を直属もしくはその上の管理監督者がどの程度把握し、理解しているかを確認する作業は欠かせないので、そこまでは相談担当者が担当します。相談担当者は、相談者の同意を得て、管理監督者の話を聴きます。相談者の希望が行為者の処分である場合を除けば、管理監督者が安全配慮義務の実行責任者として対応すればよいのです。
河野産業医

河野産業医

人事担当者

人事担当者

先ほど先生が、「相談が機能すれば、問題を大きくしなくてすむ」と言われたのはそういうことなのですね。
はい。相談者が行為者の処分を求めていることが明確な場合や管理監督者だけでは処理ができない場合には、相談者の主張を裏づけるための調査が必要になります。その調査では、事実の確認が主たる作業になるので、人事担当者など調査権限を持つ者が対応すべきです。相談担当者は、相談者に調査に移行することを伝え、一応の役割を終了します。
河野産業医

河野産業医

人事担当者

人事担当者

「一応」?その後にもまだ何か役割が残っているのですか。
調査には時間がかかります。相談者が望めば、結果が出るまでの間、心理的なサポートをします。また、結果が出ても、それは必ずしも相談者の希望を満たすものであるとは限りません。その場合のサポートも必要なことがあります。さらに、相談時に、イライラする、気分が落ち込むなどの気分の不安定、睡眠障害などの症状が訴えられた場合には、医学的な判断が必要となるので、産業医と連携して対処します。
河野産業医

河野産業医

人事担当者

人事担当者

しなければならないことが結構あるのですね。
第三のお願いは、企業側の意思決定者、すなわち処分権限をもつ人は調査には加わらないようにすることです。これは相談担当者とは直接関係ないのですが、調査の恣意性をなくすために必要です。
 また、これも重要なことなのですが、相談担当者、調査担当者ともに男女を含む複数を選任するようにしてください。
河野産業医

河野産業医

人事担当者

人事担当者

ここまでのお話を聴いていると、企業規模が小さいところでは、体制整備が難しいのではないかと、ふと感じたのですが……。
そうですね。私は、相談窓口の体制整備が難しい場合は、無理をしないで、外部のサービス機関を活用した方がいいと考えています。ただ、サービスの内容には機関によるバラツキが大きい、もう少しはっきり言えば玉石混交なので、外注に際してはその見極めが必要です。
河野産業医

河野産業医

3. 産業医の役割

人事担当者

人事担当者

パワーハラスメント対策における産業医の役割についてはどう考えておけばいいですか。
パワーハラスメントは心理的ストレス要因として被害者の心身の健康に強い影響を与えます(産業医向け第21回)。また、パワーハラスメントのある職場は、指針にもあるとおり、職場環境のよくない職場です。直接の被害者になっていない職場メンバーの健康にも影響するからです。こうした点についての労働者・管理監督者教育には産業医がかかわります。
河野産業医

河野産業医

人事担当者

人事担当者

まずは教育ですか。それに、先ほど話にあった相談担当者への支援も産業医の役割ですね。
はい。さらに、被害者に健康問題が生じている場合の対応があります。これは、被害者の面談、医療機関への紹介、治療中の健康状態の把握、休務者については職場復帰など、メンタルヘルス不調者に対するサービスと内容は同じです。
河野産業医

河野産業医

人事担当者

人事担当者

パワーハラスメントの場合、とくに注意すべきことが何かありますか。
パワーハラスメントによる健康障害への対応では、行為者と被害者の接触を物理的に断つことがもっとも重要です。職場で顔を合わせることが強いストレス要因なので、まずはストレス要因を減らすためのさしあたっての措置が必要です。そのため、産業医は被害者を説得して休務させます。この段階では、行為者とされた人が本当にハラスメントを行っているかどうかは確認できていません。あくまでも本人の申し立てのみにもとづく判断です。休んでいる間に、産業医は管理監督者と面談をします。行為者とされた人への接触はその後です。
河野産業医

河野産業医

人事担当者

人事担当者

その場合、産業医意見書で休ませるのですか。
ええ。医師を受診していないと診断書を提出してもらうことができないので、そうなります。1週間か10日程度でいいので、これは制度化しておく必要があります。パワーハラスメントによる健康障害を重症化しないための対策です。
河野産業医

河野産業医

人事担当者

人事担当者

話を聴いていくと、結果としてハラスメントはなかったということもありうるわけですよね。
そうです。人事がそこにひっかかることはよくわかるのですが、重症化を防ぐということで割り切ってもらうとありがたいですね。
河野産業医

河野産業医

このコラムの執筆者プロフィール

河野慶三先生

河野 慶三 氏(新横浜ウエルネスセンター所長)

名古屋大学第一内科にて、神経内科・心身医学について臨床研究。
厚生省・労働省技官として各種施策に携わる。
産業医科大学、自治医科大学助教授など歴任。
富士ゼロックスにて17年間にわたり産業医活動。
河野慶三産業医事務所設立。
日本産業カウンセラー協会会長歴任。
平成29年より新横浜ウエルネスセンター所長に就任。