第28回 「平均的な労働者の感じ方」の意味すること
2020年 3月23日 最終更新:2020年 4月2日

パワーハラスメント対策を事業主の義務として定めた、いわゆる労働施策総合推進法にもとづく指針、「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」が2020年1月15日に厚生労働省告示第5号として示された。
この指針では、パワーハラスメントと判断するための必須の条件のひとつとして就業環境が害されることがあげられており、その基準として平均的な労働者の感じ方、すなわち「同様の状況で当該言動を受けた場合に、社会一般の労働者が、看過できない程度の支障が生じたと感じるような言動である」ことが採用されている。
指針は、調査によってパワーハラスメントと判定された行為者に対して、事業主が就業規則などの規定にもとづいて何らかの懲戒処分をすることを求めている。その点のみを注視するとすれば、パワーハラスメントの判定には、客観性のある十分な根拠が必要である。
しかし、パワーハラスメントの問題はそのすそ野が広い。過去の経験的なデータは、相談対応のレベルを考慮すると、実務上何らかの措置は必要だが懲戒処分まではいかないレベルのものが多いことを示している。そのレベルの事例には、指針でも述べられている相談体制を整備し、それを機能させることで十分対処できる。
パワーハラスメントの相談では、相談者は、主観的で一方的な主張をすること、相談担当者の質問に的確に答えられないことも多い。それを客観的でないという理由で切り捨てないで、十分話を聴き、その内容を考慮した対処をすることが現実的なのである。この点については、指針も注意を促している。切り捨てると、相談者が抱えている問題は未処理のまま放置されることになる。その結果は、本人の健康状態の悪化、「組織の健康」の劣化をもたらす。
したがって、ハラスメント対策については、相談者が行為者の懲戒処分を強く求めている場合を除き、平均的な労働者の感じ方を基準としない方針を採用することが望ましい。個々の相談者の困りごとを受け止め、話を聴くことをとおして個別に解決していくという方針をとることを推奨したい。こうした方針は、決して指針の趣旨に反してはいない。
「平均的な労働者の感じ方」は概念的には理解が容易なので、説明するには便利であるが、いざ具体的な事例に適用しようとすると、そう簡単にはいかない。体験した現象は同じであっても、それをどう感じるかは人それぞれだからである。
ところで、労働者災害補償保険法の業務上外の判断では、平均人基準説という考え方が採用されている。労働者災害補償保険(労災保険)は、国が直接運用する保険で、事業者のみが掛け金を払い、業務遂行性・業務起因性を条件として無過失責任で補償を行う制度である。業務遂行性・業務起因性が明確な外傷が原因である傷病の場合はともかく、傷病の原因が疾病とくにメンタルヘルス不調の場合には、業務とメンタルヘルス不調との因果関係の把握に強い客観性が要求されるため、実務上は判断が厳しくなりがちである。
厚生労働省労働基準局長が出している労災の判断基準のひとつである、「心理的負荷による精神障害の認定基準」(平成23年 基発1226第1号)では、基準としてメンタルヘルス不調の発病前おおむね6か月の間に業務による強い心理的負荷が認められることをあげ、強い心理的な負荷とは、「発病した労働者がその出来事及び出来事後の状況が持続する程度を主観的にどう受け止めたかではなく、同種の労働者が一般的にどう受け止めるかという観点から評価されるものであり、“同種の労働者”とは職種、職場における立場や職責、年齢、経験等が類似する者をいう」と説明している。
労災補償の業務上外の判断の権限は労働基準監督署長にあるため、その判断は「行政処分」となる。監督署長の行った業務外の判断に不服がある場合は、その処分の取り消しを求めて「労働者災害補償保険審査官」に審査請求を行う。審査官の決定に不服であれば、「労働保険審査会」に再審査請求ができる。その決定にも不服であれば、行政処分の取り消しを求める訴訟を地方裁判所に起こすことになる。これが「取消訴訟」と呼ばれるもので、被告は国・労働基準監督署長である。この訴訟では、企業は訴訟の当事者にはならない。
取消訴訟では、原告側弁護人が平均人基準説に対する反論を展開しているが、労災補償の原則的な考え方からくる因果関係の客観的把握の強い要請を崩すことができていない。