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【 第4回 】安全配慮義務
2021年 6月17日(河野慶三コラム:通算 第34回)

第4回安全配慮義務の画像

 前回の労働契約の話で触れたとおり、労働契約を結んだ事業主は、その付随的な義務として、契約した労働者に対して安全配慮義務を負うことが、労働契約法の第5条で規定されています。

 安全配慮義務違反による損害を受けたと考える労働者またはその遺族は、民法第415条で規定された債務不履行を主張して事業者に対する賠償請求を行うことができます。民法第709条の注意義務違反とそれに関連する第715条の規定にもとづく損害賠償請求をすることも可能です(別表参照)。

 安全配慮義務の概念は、1975年に最高裁判所の判決(陸上自衛隊八戸駐屯地事件、最高裁判所判決)で確立されました。現在、安全配慮義務は、「事業者が労働者に負っている労働契約上の債務で、事業者が労働者に対し、事業遂行のために設置すべき場所、施設もしくは設備などの施設管理または労務の管理にあたって、労働者の生命および健康などを危険から保護するよう配慮すべき義務」として理解されています。

 振り返ってみると、この最高裁判決以降、安全配慮義務の考え方は、訴訟の場で、職場における健康問題についての損害賠償請求を認めるかどうか、労働基準監督署長が下した労働者災害補償保険法の業務外の判断を取り消すかどうかを裁判所が判断する際の拠りどころとなりました。しかし、安全配慮義務の範囲については特段の規定はなく、実務上、「業務に直接起因する健康障害を起こさないこと」として運用されました。そのため、労働者のメンタルへルス不調が安全配慮義務上の問題となることはまずありませんでした。

 ところが2000年に、いわゆる電通事件の判決で、最高裁判所は、「使用者は、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負う」という新しい判断を示し、使用者にかわって労働者に対し業務上の指揮監督を行う権限を有する者(管理監督者)に、「使用者の注意義務の内容に従って、その権限を行使する」ことを求めました。使用者が注意義務の履行を立証できない場合には、裁判所によって使用者の過失が認定されることになったのです(電通事件の詳細については、本コラムの、産業医向け第18回「電通事件をふりかえる」を参照してください)。

 ちなみに、民事訴訟では、損害賠償を認定する要件として、@業務と健康障害の間に相当因果関係が認められること A健康障害を起こさないための具体的な方法が存在すること、すなわち回避可能性があること B故意もしくは過失があることの3点を満たす必要があるとされています。相当因果関係は、自然科学でいう因果関係とは違います。割り切って言えば、平均的な国民の多数が「ある一定の状況にさらされれば、一定の頻度で、特定の心身の反応や行動が生じることが十分予測できる」場合に認められます。訴訟の実務上は、担当裁判官の過半数がそうだと判断すれば成立するわけです。相当因果関係が成立しないと、予見可能性を欠くことになり、回避するための対策がうてません。

 この判決によって、事業主が損害賠償請求訴訟で負けないためには、現実の問題として、管理監督者が、

  1. 労働者の健康状態を把握すること
  2. 健康状態に問題がある場合には、業務負荷による健康状態の増悪を防ぐための具体的な措置をとること

の双方を実行しなければならなくなりました。損害賠償請求訴訟においては、「業務に直接起因する健康障害のみでなく、業務と密接な関連を有する健康障害を起こさないように配慮する」ことが、民事上の事業者責任に含まれることになったわけです。健康状態の中にメンタルへルスの問題が入っていることはもちろんで、電通事件の場合、注意義務違反の内容はうつ病による自殺でした。

 しかし、それはあくまでも損害賠償請求訴訟が提起された場合のことであって、この義務を直接規定する法律はありませんでした。 2007年になって、労働契約法が新たに制定され、その第5条で、「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」ことが定められました。この法律は翌2008年に施行されました。これによって、事業主と労働者の間に労働契約が成立した時点で、法制度上、事業主が労働者に対して「安全配慮義務」を付随的に負うこととなったのです。

 次回は、「労働安全衛生法が定める労働衛生管理体制」です。

別表 )損害賠償にかかわる民法の関連条文

第415条(債務不履行による損害賠償)
債務者がその債務の本旨に従った履行をしないときは、債務者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる。
債務者の責めに帰すべき事由によって履行をすることができなくなったときも、同様とする。
第417条(損害賠償の方法)
損害賠償は、別段の意思表示がないときは、金銭をもってその額を定める。
第418条(過失相殺)
債務の不履行に関して債権者に過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の責任及びその額を定める。
第709条(不法行為による損害賠償)
故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
第715条(使用者等の責任)
ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。
ただし、使用者が被用者の選任及びその事業の監督について相当の注意をしたとき、又は相当の注意をしても損害が生ずべきであったときは、この限りではない。
2 使用者に代わって事業を監督する者も、前項の責任を負う。
3 第2項の規定は、使用者又は監督者から被用者に対する求償権の行使を妨げない。
第722条(損害賠償の方法及び過失相殺)
第417条の規定は、不法行為による損害賠償について準用する。
2 被害者に過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の額を定めることができる。

このコラムの執筆者プロフィール

河野慶三先生

河野 慶三 氏(新横浜ウエルネスセンター所長)

名古屋大学第一内科にて、神経内科・心身医学について臨床研究。
厚生省・労働省技官として各種施策に携わる。
産業医科大学、自治医科大学助教授など歴任。
富士ゼロックスにて17年間にわたり産業医活動。
河野慶三産業医事務所設立。
日本産業カウンセラー協会会長歴任。
平成29年より新横浜ウエルネスセンター所長に就任。